阿蘇南部から高千穂峡に向かう途中に位置する
山都町(旧清和村)
この広大な自然の中で、
地の塩社は、1991年から地元の農家と
契約栽培を行っています。
ここ山都町は、標高300~1700m.にあり
東京の平均降水量の約1.8倍もの雨が降る地域で、
ヘチマがヘチマ水を生成するのに
必要な水分を得るために
とても適した気候なのです。
※降水量の比較は、
Climate-Data.orgのデータより算出。
ヘチマ水は日本で古くから、美顔化粧水(美人水)
として知られていました。
文化三(1806)年に本草学者である小野蘭山が
書いた薬用植物の研究書『本草網目啓蒙』では、
ヘチマ水の採取法や効能が記されています。
これは、江戸時代中期に大衆化粧文化が
薄化粧になり、その流れの中で、
女性たちの素肌美に対する意識がめばえ、
化粧水に肌を整える役割を求めるようになった中、
当時、身近な植物だったヘチマから採取される
ヘチマ水は、
入手しやすく一気に広まったという背景
があり記載されたと思われます。
またヘチマ水は、ヘチマの実から搾るものではなく、茎
(つる)を切ったところから滴り落ちる
エキスを採取したものです。
そのため、その土地の土壌が、
汚染されておらずきれいなこと。
雨が多く、雨がきれいなこと。空気がきれいなこと。
が品質のよいヘチマ水の条件と考えられています。
1991年以来、熊本県山都町(旧清和村)で
地の塩社のヘチマ水を採水している
新興社 代表 飯星 新助です。
山都町(旧清和村)は、
名前からも伝わりますように、
沢山の自然に恵まれ、心まで和ませてくれる、清らかな場所です。
12年間の経験と実績をもとに、2004年4月新たな発展を目指して
新興社という複数の生産者からなる組織を立ち上げ、
生産者それぞれ夫婦共同作業で取り組んできました。
山都町のヘチマ畑
当初は、2組の夫婦と地の塩社で、パイプハウスの骨組みを使った棚這方式(棚につるをはわせ、実がきれいにとれる栽培方法)でヘチマの栽培を行いましたが、せいぜい採水できる量は2~3トンで、そのような中、台風の大打撃を受け壊滅状態まで追い込まれました。
しかし、ヘチマ栽培への熱い思いが、
地這方式(地面につるをはわせるため、
風の影響は受けにくいが、
場所を必要とする栽培方法)での栽培技術と
独自の採水方法の確立へと繋がっていき、
現在では15~25トンのヘチマ水を収穫できるほどになりました。
パイプハウスの骨組みを使った棚這方式
実は、他の地域でもヘチマの栽培ができないか。
試してみましたが、山都町(旧清和村)の気候が
一番適していました。
その理由はここを訪れればわかります。
この雄大な土地で、農薬・化学肥料を一切使わず太陽の光を
たっぷり浴びたヘチマから、一滴一滴を丁寧に抽出されたヘチマ水は、
地の塩社の商品に生まれ変わっていく。
私たちはヘチマをつくるだけでなく、
化粧品が出来るまでの過程を知ったことで、
もっともっとヘチマが好きになり、
自信をもって栽培することができるようになりました。
地這方式による栽培
ここまでの道のりには色々な困難や苦労がありましたが、
まだまだヘチマは奥が深い、
毎日毎日が勉強の日々です。
また新興社発足と同時に、ヘチマ館をオープンさせました。
ヘチマ館はもともと、ヘチマ水の検査や出荷の作業場として
建てましたが、沢山の人達にヘチマに興味をもってもらい、
そのよさを広めたいと思いヘチマ水を原料とした化粧品や
ヘチマの加工品なども販売しています。
太陽の光を全身で浴びるヘチマの花
山都町のヘチマ畑
パイプハウスの骨組みを使った棚這方式
地這方式による栽培
太陽の光を全身で浴びるヘチマの花
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